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前橋地方裁判所 昭和57年(ワ)169号 判決 1985年3月14日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 飯野春正

同 野上恭道

同 野上佳世子

同 大塚武一

同 若月家光

被告 群馬県

右代表者知事 清水一郎

右訴訟代理人弁護士 阿久澤浩

右訴訟復代理人弁護士 石田弘義

右指定代理人 金山雅一

<ほか二名>

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五七年五月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び1項につき仮執行の宣言

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  被告は、前橋東警察署所属警察官(以下、警察官と略称する。)を公権力の行使に当る公務員として任命している地方公共団体である。

(二)  前記警察官の違法行為

原告は、以下のとおり、右警察官によって違法に現行犯逮捕されて身体を拘束され(仮に右逮捕が適法であるとしたところで)、その後留置の必要性が消滅したにも拘らず長時間にわたって拘束が継続され、かつ、その間違法な言動を受けた。

1 現行犯逮捕の違法性

(1) 原告は、昭和五七年四月八日午後五時五〇分ころ、前橋玉村線の市道上を前橋市内に向け普通乗用自動車(群五七や三六〇八)を運転していたところ、同市下川町四七の一四付近において速度違反(制限速度毎時四〇キロメートルを毎時六二キロメートルで走行)を前記警察官二名に現認され、停車を命ぜられたので、速度違反の事実を認め、その指示に従って同町三八の八付近の三差路を左折して停車した。

停車後、原告は、右警察官一名の「速度オーバーです。マイクロバスに乗って下さい。」との指示に従って、内心毎時一五ないし二〇キロメートル程度の超過にすぎないと考えながらマイクロバスに乗り込んだ。

(2) 原告が同車内で違反の取調べを担当していた警察官巡査部長服部満の前に机を挟んで椅子に腰掛けると、同警察官は、下を向いてしきりに何かを記入しながら、原告に住所、氏名すら質問せず、かつ速度違反の点を全く告げることなく、最初から免許証の提出を求めたが、原告はこれに応じてすぐに手に持っていた免許証を同警察官に見えるように提示したところ、その瞬間同警察官がこれを引き取ろうとしたので、その手渡しを拒否して超過速度を尋ねたにも拘らず、同警察官はこれに答えずに単に免許証の手渡しを求めるのみであって、かかる双方の会話はその最後のやりとりまでせいぜい一、二分前後であり、その最後のやりとりは次のようなものであった。

原告 「提示でしよう。」

同警察官 「そうだよ。」

原告 「提示というのは受け渡すことと違うじゃないですか。」

同警察官 「とにかくよこせばいいんだよ。」

原告 「オーバーキロ数を教えて下さい。そのとき免許証をあなたに手渡します。オーバーキロ数を教えてくれないなら、免許証を私の手にもってあなたに示すことはしますが、あなたに手渡すことは拒否します。」

同警察官 「なんだと、逮捕だ。」(周りの警察官に向って)「おい、逮捕だ、逮捕しろ。」

(3) 以上のやりとりの末、原告は同日午後五時五六分道路交通法違反(速度違反)を理由として同警察官らに現行犯逮捕された(以下、本件現行犯逮捕という。)のである。

(4) 現行犯逮捕の場合にも逮捕の必要性がその要件であると解すべきところ、前記により明らかなとおり、警察官服部らは原告の住所、氏名の質問すら懈怠するといった極めて粗雑かつ乱暴な取調べをなし、これに協力的でないと考えて原告を逮捕したものであって、したがって、本件現行犯逮捕は逮捕の必要性、すなわち罪証隠滅、逃亡のおそれのいずれの事由も存在しないのに実行されたもので、違法というべきである。

2 本件現行犯逮捕にひき続く留置の違法性

(1) 原告は前記逮捕後前橋東警察署に引致されて同日午後六時二五分ころ弁解録取書が作成されたが、ひき続き翌九日午後一時二〇分まで同署に留置された(以下、本件留置という。)。

(2) ところで、逮捕後留置の必要性が消滅すれば直ちに原告を釈放すべきであるところ、本件違反については速度測定結果記録書が存し、かつ右弁解録取書の作成により原告の住所、氏名が明らかになったのであるから、もはや罪証隠滅、逃亡のおそれは存在せず、右氏名等が明らかになった段階で原告を留置すべき必要性がなくなったといえる。

したがって、右弁解録取書作成後釈放までの約一八時間五五分間の留置は違法というべきである。

3 本件現行犯逮捕時、取調時等における、前記警察官服部満及び警察官巡査部長小内秀人らの違法な言動

(1) 同服部は原告を逮捕直後前記マイクロバスから近くに停車中のパトカーに引致する途中、原告に対し、「生意気なことを言うから逮捕なんかされるんだぞ。」と放言した。

この発言は警察官としての権力をかさに着た暴言の一言につきるものである。

(2) 同警察官はまた、弁解録取書作成後(原告において、「私の会社が一日二千頭の豚を解体している。」と述べたのに対し)、「なんだ、よく平気でそんなことができるな。どうせろくなことを考えてねえんだろう。そういうことだから逮捕されるんじゃないんかい。」といった。

これは、原告をして、その職業が犯罪と結びつくものである、との感を懐かせるものであって、許されるべきものではない。

(3) 同小内は、逮捕翌日の四月九日原告が警察官巡査部長中澤忠雄の取調べを受けていた際、原告に対し、「俺はおまえの会社の上司をよく知ってるんだ。あんまり変なことを言わずに大人しく調書を取ってもらえ。」と発言した。

右言辞は、暗に、警察官らの考える取調べに原告が従順でないようならば、勤務先の上司に話して事と次第では原告の地位を危くさせることがある趣旨を意味する極めて低劣な発言であって、原告をして現に右の如き不安を懐かしめたのである。

(4) 同服部はさらに、右中澤の取調中(同警察官が原告に対し、「なんだお前は何キロオーバーしたかもわからないで逮捕されたんか。」と言った際)、原告の後方に立ち上って、「そうだよ、とろいことなんかやっちゃいねえよ。即逮捕。話は早いんだよ。」と大声でいった。

右言動は、逮捕権の濫用の事実を裏付けるものであるが、それ自体も不穏当極まりないものである。

(5) 同小内はまた、釈放後同署構内に押収保管していた原告の車を原告に引き渡す際に、原告に同行して、「法治国家で良かったなあ。ひと昔前なら五体満足じゃあ帰れなかったぜ。」とか、「告訴などするなよ。どうせ警察には勝てっこないんだし、金の無駄だからな。」と、強い口調で原告を威迫した。

(6) 以上のとおり、同警察官服部及び同小内らの右各言動は明らかに違法というべきである。

(三)  精神的苦痛

原告は、前記警察官らの違法な身体の拘束、言動により強い精神的打撃を蒙ったものであり、これを慰藉すべき金額は一〇〇万円を下らない。

(四)  よって、原告は被告に対し、国家賠償法一条に基づき、地方公共団体たる被告の公権力の行使にあたる警察官がその職務を行うにつき原告に与えた損害の賠償として金一〇〇万円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五七年五月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

(一)  認否

1 請求原因(一)の事実は認める。

2 同(二)の1の事実につき

(1) 同(1)の事実中、原告が速度違反を認めたことは否認、原告が内心考えていたことは不知、その余は認める。

(2) 同(2)の事実は争う。

(3) 同(3)の事実は認める。ただし、逮捕にいたるまでの原告と警察官服部との会話の内容は争う。

(4) 同(4)の事実は争う。

3 同(二)の2の事実につき

(1) 同(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の事実は争う。

4 同(二)の3の事実は、いずれも否認する。

5 同(三)の事実は争う。

(二)  反論

1 本件現行犯逮捕の経緯と適法性

(1) 前橋東警察署は昭和五七年四月八日午後二時ころから午後六時ころにかけて、前橋市下川町四七番地の一四先市道上において、レーダー式車両走行速度測定装置を使用して速度違反等の交通取締りを実施した。

同日午後五時すぎころの取締りには、同署所属警察官巡査部長小内秀人(記録係)、同服部満(取調係)及び同巡査林広幸(停止係)らが従事していた。

(2) 原告がその主張の時刻、場所においてその主張の速度違反をなした(請求原因(二)、1の(1))ので、停止係の右林において、原告運転車両を停車させて、原告に対し、速度違反の事実を告げたうえ、免許証の提示を求めたが、原告は、「前のトラックの後についてきたのでスピード違反なんかしていない。」等と述べ、免許証を手渡そうとしなかったので、取締用マイクロバス内の取調係の右服部の前に案内した。

(3) 同服部は、原告に対し、記録係の前記小内から既に手渡されていた、前記速度測定装置の記録した記録紙(その内容は測定年月日五七年四月八日、測定車両群五七や三六〇八、測定時分一七時五一分、測定速度六二キロメートル、である。)の貼付してある速度測定結果記録書(以下、本件速度測定結果記録書という。)を示し、二二キロメートルの速度違反の事実を告げて、免許証の提示を求めた。

原告は、「俺は速度違反なんかしていない。」といって犯行を否認し、免許証入れに入った免許証を右手に持って上下に上げ下げをした後、自己の腹の前でこれを両手に持って同服部に示すなどの動作をし、同服部において、「そこでは見えませんから、私のところに出して見せて下さい。」とか、「免許証の裏の記載事項がわからなければ、青切符になるか、赤切符になるかわからないから、よく見せて下さい。」などといって再三説得、要求をしたのに免許証の提示を拒否し続けた。そして最終的には、「いつも警察官はそんなことを言って人の免許証を見ようとする。私ははっきり拒否します。」といって、免許証をズボンの右ポケットにしまい込んだ。

そこで、同服部は、もはや任意取調べは不可能であり、罪証隠滅、逃亡のおそれがあると判断し、原告を道路交通法違反容疑で現行犯逮捕したのである。

(4) なお、原告は右取調時間は僅か一、二分前後であった旨主張する(請求原因(二)、1の(2))ところ、本件速度違反現認時の午後五時一五分ころから現行犯逮捕時の午後五時五六分まではおよそ五分間であったが、原告が違反してからマイクロバス内の同服部の前に来るまでは、自動車の速度、停車地点までの距離、同地点からマイクロバス内までの距離からして一分以内であるから、原告と同服部との前記やりとりは少くとも四分前後はあった。

(5) 一般的に逮捕の要件は、逮捕の理由と必要性であるが、現行犯逮捕の場合には、通常或いは緊急逮捕と異って、その必要性について刑事訴訟法上規定がなく、また逮捕理由の明白さなどからして逮捕の必要性は要件ではない。

仮に要件であると解したところで、前記のとおり、原告は速度違反の事実を否認し、かつ、前記取調係服部に対し免許証提示(取調可能のように見せること)を明確に拒否し、さらにこれをズボンの右ポケットにしまい込んで取調べに応じなかったのであるから、罪証隠滅及び逃亡のおそれは十分に存在していたのである。

したがって、いずれにしても、本件現行犯逮捕は適法であった。

2 本件留置の適法性

原告は取調当初から速度違反を否認し、同服部が午後六時二五分ころ弁解を録取した際にも、「六二キロも速度を出した覚えはない。」旨犯行を一部否認する態度であったから、捜査機関としては、本件違反状況を明らかにするための実況見分、原告をはじめとする関係者からの事情聴取を要することはもとより、前科、前歴照会等捜査をする必要があったこと、また原告に対する取調べも深夜に及ぶ可能性があったこと、等の事情から留置の必要性を認めたものである。

原告は本件速度測定結果記録書が作成されたこと及び右弁解録取書の際にその住所、氏名が述べられたことをもって、留置の必要性が消滅した旨主張するが、右記録書には原告運転車両の測定であることを認める趣旨の原告の指印等の確認行為がなされておらず、後日証拠上の関連性を否定するおそれがあったし、また、その住所、氏名についても、原告の供述する現住所と免許証記載のそれは違っていて、疑念を生ずる状態であったから、右主張の事由は留置の必要性を消滅させるものではない。

3 以上のとおり、前橋東警察署所属警察官の本件現行犯逮捕及びこれにひき続く留置は、いずれも適法であり、不法行為を構成するいわれはない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件現行犯逮捕、留置及び釈放の経緯

(一)  請求原因(一)の事実、同(二)1の(1)(ただし、原告が速度違反を認めたこと、内心考えていたことは除く。)及び同(3)(ただし、原告と警察官服部との会話の内容は除く。)の各事実並びに同(二)2(1)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実、《証拠省略》を併せ考えると、以下の事実が認められる。

1  本件逮捕時までの経緯

(1) 前橋東警察署は昭和五七年四月八日午後二時ころから午後六時ころにかけて前橋市下川町四七番地の一四先市道上においてレーダー式車両走行速度測定装置を使用して速度違反等の交通取締りを実施したのであるが、同日午後五時すぎころの取締りには、速度記録係として同署警察官小内秀人が、違反者取調係として同警察官服部満が、違反車両停止係として同警察官林広幸らがそれぞれ従事し、午後五時ころからは責任者として警察官交通課長鈴木榮が加わった。

(2) 右警察官小内及び同林らにおいて、同日午後五時五一分ころ、右取締現場で、前橋市内に向け普通乗用自動車(群五七や三六〇八)を運転中の原告が制限速度毎時四〇キロメートルを二二キロメートル超過する毎時六二キロメートルの速度違反をなしているのを現認した。

(3) 右同林は直ちに原告運転車両の進路上に飛び出して停車の合図をなし、これに従って減速をなした右車両を前記市道と交差する道路上に誘導、停車させた(前記速度測定装置の検出器により速度を検出された場所から右停車地点までは約九〇メートル)。

そして、原告が車の窓を開けたので、同林において、速度違反の旨を告げて免許証を見せるよう求めたところ、原告は「前のトラックの後についてきたので、速度違反なんかしていない。」との趣旨を述べたが、右要求に応じて、ダッシュボードの中を探したうえ、同所から免許証を取り出して自己の体につけるような位置からこれを見せたので、手を差出してこれを受け取ろうとしたところ、原告は手を引込めてその手渡しを拒否した。同林は原告の右態度からそれまで接した違反者とは異なるものを感じたが、取調べのため、原告に免許証を持って取調用マイクロバスに乗るように指示して、自らその場から約一三メートル難れた場所に停車中の右バスに案内したうえ、すでに前記記録係小内から手渡された本件速度測定結果記録書(被告の反論1の(3)。)を読んでいた前記服部の前の机を挟んだ椅子に腰掛けさせた。

(4) 右同服部が、前記速度違反の取調べのため原告に免許証を手渡すように求めたところ、原告は、内心速度違反の程度は毎時一〇ないし一五キロメートル位と推測していたものの「違反していない。」といって、右要求を拒絶した。

その後、同服部が再三免許証をよく見せるように、とか手渡すことを求めたのに対して、原告は椅子に腰掛けたまま、「免許証は持っているよ。」といって、免許証入れに入れてあるそれを右手に持ってその表面を同服部側に向ける状態にして下に垂らす恰好をしたり、免許証を右のように持ったまま、右肘を支点にして右前腕部を上下に振る動作を繰り返したりした。この間原告は、「提示と受渡すこととは違う。」「これでも免許証を提示したことになる。」とか、「免許証は提示すればいいんであって警察官に提出することはない。」との趣旨を繰り返し述べた。そして、その最後のやりとりとしては、同服部において、右速度測定結果記録書を示しながら、「速度違反は間違いない。」といって免許証を差し出すよう求めたのに対し、原告は、右記録書を見ようともせず、違反を否認し、自己の腹部付近で両手で枠取りするような形に免許証を持って同服部に示す態度をとった(同服部は免許証の記載を確認できない状態であった。)ので、「それでは見えないから、こっちに出してくれ。」、「免許証を見せてもらわなければ処理ができないんだ。」とか、「あんたは本当に免許証を見せる気はねえんかい。」などといって説得したが、原告は「提示はするが、提出は拒否する。」とか、「いつも警察官はそんなことをいって人の免許証を見ようとする。私ははっきり拒否します。」といって同服部の説得、要求に応じなかった。

この間原告の態度は終始冷静であった。

そして、このやりとりは少くとも二、三分間(右時間は《証拠省略》を総合して認める。)程度にすぎなかったが、同服部としては、同僚警察官から、「道路交通法違反事件において、警察官の要求に対しては、免許証は提示でたり提出義務がなく、反則切符をきるためには使わせない。速度測定記録紙等の確認や告知書、記録紙、否認調書への署名も拒否しうる。」等の趣旨を記載した「無法ポリスとわたりあえる本」の内容を予備知識として免許証の提示又は提出を拒む違反者があると聞いていたところ、原告の右のような態度から原告も同様の人物であって、これ以上説得しても免許証に基づき任意の取調べをなすことは不可能であり、このままで立ち去らすにおいては逃亡及び罪証隠滅のおそれがあると判断し、前記林他二名とともに共同で同日午後五時五六分道路交通法違反(制限速度違反)を理由として原告を現行犯逮捕した。

原告と同服部との間の右やりとりにおいて、同服部は本件速度測定結果記録書を示しただけで、口頭で速度違反の程度(毎時二二キロメートル)を原告に了知させる努力をしなかった。

(なお、被告は原告が免許証をズボンの右ポケットにしまい込んだ旨反駁し、《証拠省略》中に右に照応する部分が存するが、右部分はこの点に関する《証拠省略》に対比して措信できず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。)

2  現行犯逮捕後釈放までの経緯

(1) 前記服部は、前橋東警察署に原告を引致し、同日午後六時二五分ころ原告に対して違反事実の告知など適式に弁解録取にあたったところ、原告において、当初は同服部の住所の質問に対して、冷静な態度で「住所はありません。」と答えるなど反抗的であったが、はじめて任意に免許証を同服部に差出して質問に応じ、「違反事実については、なお「六二キロメートルも速度を出した覚えはない。」旨否認し、その趣旨の弁解録取書が作成された。

(2) 前記鈴木榮は、自己の目撃や前記服部らからの報告等に基づき、前記認定のとおり、原告が免許証提示等にもとづく取調べに応じなかったこと、弁解録取書作成においても当初「住所はない。」と答えていること、免許証の住所が原告の供述する住所と異なること及び違反事実を否認して、未だ本件速度測定結果記録書にその記録は原告の違反車両に関するものであることを確認する趣旨の原告の指印などがないこと等から、なお逃亡及び罪証隠滅のおそれが存するものと認め、かつ、引続いての取調べは深夜に及ぶことが予想された(原告は逮捕前後を通じて一貫して冷静で、なんらの変化もなくたやすく自己の信念を変える人柄ではないものと推測した。)ので、留置して翌朝取調べることに決定した。

(3) 担当警察官は同日午後七時すぎころ群馬県警察本部に対し、交通違反及び犯罪前歴の照会をなし、その旨の書類を作成した。

同日午後八時ころ、前記服部において原告の現住所の母親に原告を道路交通法違反容疑で逮捕し留置した趣旨の電話運絡をなした。

(4) 翌九日、警察官巡査部長中澤忠雄において午前九時五〇分ころから本件速度違反について原告の取調べに当ったところ、原告は、当初「オーバーキロ数を示されないで不当に逮捕された。」との趣旨を述べたが、その後は素直に取調べに応じ、同日昼ころ本件速度測定結果記録書どおり毎時二二キロメートルの速度違反を認める旨の供述調書が作成された。

この間午前一一時ころ、前記小内において原告の父親に対し身柄引受けのために出頭するよう電話連絡をした。

そして、同小内は、同日午後一時すぎころから原告に対して交通反則告知書の作成・交付、押収にかかる原告の車両の仮還付の各手続をなすとともに警察内部の訓令(被疑者留置規則施行に関する訓令)に従い、原告本人からは釈放請書を、原告の父親からは身柄請書をそれぞれ徴して同日午後一時二〇分原告を釈放した。

3  本件現行犯逮捕後における前記警察官服部らの発言

(1) 前記服部及び同小内が原告に対し原告主張(請求原因(二)3の(1)ないし(3)、(5))の機会にその趣旨の発言をそれぞれなした。

(2) また、原告主張(同(4))のとおり前記中澤が原告を取調中には、その場に居合わせた前記警察署所属警察官某が原告に対しその主張の趣旨の発言をした(原告は右発言をしたのは右服部である旨主張するが、その当時同服部は他の屋外勤務に就いていて不在であったことが《証拠省略》によって明らかである。)。

以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

三  本件現行犯逮捕の違法性の有無

1  現行犯逮捕においても、通常逮捕及び緊急逮捕の場合と同じく逮捕の必要性を要すると解するのが相当であるから、右違法性の有無については、その理由とされた犯罪の罪質、捜査の必要性及び逮捕時における被疑者の態度等諸般の事情からみて、逮捕者においてその必要性を認めたことが合理的ないし相当であった否かを判断するのが妥当である。

しかるところ、本件のごとき道路交通法違反事件においては、その大量性、処理方法の特殊性(反則手続によるか、刑事手続によるか等)、迅速処理の必要性等から、逮捕の必要性の判断につき、一般の刑事事件とは異った考慮を払うのが相当である。すなわち、交通違反を現認し、その現場において違反事実の取調べをなす場合においては、警察官においてそのための重要な資料とみるべき、現に携帯している運転免許証の提示又は提出(記載内容を判然とわからせるように相手方の面前に差出し又は手渡すこと)を要求しうる(もっとも、道路交通法第九五条第二項・第一二〇条第一項第九号のように提示義務とその違反について罰則を定めていないかぎり、右提示又は提出要求を拒否してもこれについて義務違反は生ぜず、処罰されないことは、いうまでもない。)ものであり、特段の事情もなくこれを拒否し、運転免許証に基づく取調べに応じないため違反者の氏名、住所等が判然としないときは、逃亡又は罪証隠滅のおそれがあると認められてもやむを得ないものと解するのが相当である。

2  しかして、前記認定事実((二)1の(4))によれば、原告は、速度違反を否認し、前記服部において本件速度違反の取調べのために免許証の記載内容が十分に見えるようこれを差出し又は手渡すよう再三要求しているのに、冷静、かつ反抗的又は揶揄的とも受けとれる態度で、提示された本件速度測定結果記録書を見ようともせず、「提示と提出とは異る。」として手渡しを拒否したことはもとより、なんら免許証の記載内容の確認をなさしめようとの態度を措ろうとはしなかったことが明らかである。

この点につき、原告は「速度超過の程度等を告知することなく免許証の手渡しを求められたので納得がいかなかった。速度超過の程度等を教えてもらえば免許証を手渡す意思であった。右のような態度に出たのは、挙げて同服部の不当な取調態度によるものであった。」との趣旨を供述する。

確かに、交通取締法違反の事件は日常生活に深く関連するものであり、かつ、その罪質も軽微であるものが多い(本件も同様である。)から、一般的には、その取調べにあたっては違反の存否、免許証の提示等につき十分な説得をなし、納得をうるよう努めることが肝要であり、この観点からみるときは、前記認定事実(二、(二)の(4))によると、同服部においては、取調当初から免許証の提示、提出に拘泥しすぎた観があり、これとは別途に住所、氏名その他必要事項を質問するとか、右提示等の必要性をよく説明するなどして任意の取調べに応ずるよう仕向けるべき努力を欠いたものといえないわけではない。

しかしながら、原告は同服部が推測したとおり、前記認定のような内容の「無法ポリスとわたりあえる本」を読んでいたものであって、前記認定の取調時の態度(右の記載内容にほぼ符合した点があり、右を予備知識として取調べに対処する考えであったことが窺える。)、及び弁解録取時においてすら冷静に「住所はありません。」などといって対応していること等に鑑みれば、同服部において取調べの方法、態度を変えて、速度違反の有無・程度、免許証の提示又は提出の必要性等について納得をうるような説得を継続してみたところで、たやすく免許証の提示等に及んだものとは認め難いから、右供述はにわかに採用することができない。

そうとすれば、同服部及び逮捕警察官らが取調時における原告の前記言動上免許証の提示又は提出の拒否のため取調べが不可能であって、このまま放任すれば逃亡及び罪証隠滅のおそれがある、と判断して現行犯逮捕に及んだことはやむを得ないところというべきであって、これにつき違法性は認められない。

したがって、右逮捕が違法であるとする原告の主張は失当である。

四  本件留置についての違法性の有無

1  司法警察員は、現行犯逮捕の被疑者に対し、直ちに、犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放しなければならない(刑事訴訟法二〇三条、二一六条)から、その必要性が存在しないのに留置するとか、当初留置の必要性があり適法に留置することになった場合でも、その後の捜査によりその必要性が消滅したのにこれを継続することは、いずれも違法というべきである。

しかして、右留置の必要性とは逃亡又は罪証隠滅のおそれが存在し、これを防止するためさらに身柄拘束を継続する必要性があることを意味するものであるから、その要否の判断にあたっては、前記逮捕の場合と同様に犯罪の罪質、捜査の必要性及び被疑者の態度(逮捕後のそれを含む)等諸般の事情を総合的に考慮すべきものである。そして、警察段階における必要な捜査の進捗上釈放相当と判断されるにいたっても、事後の捜査上の出頭確保のため又は釈放手続の明確化(身柄の強制的拘束という事の性質上その取扱方法に慎重さ、厳格さが伴うのは当然である。)のために要請される手続を履践するに要する合理的時間内においては、なお留置を継続することができるものと解するのが相当である。

2  原告は弁解録取書の作成により原告の住所、氏名が明らかになり、かつすでに本件速度を立証すべき本件速度測定結果記録書が存在していたから、右段階においてはもはや留置の必要性はなかった旨主張し、右事実の存することは前記認定(二、(二)、2の(1))のとおりである。

しかしながら、かかる事実のみから留置の必要性がないとみることはできず、かえって、前記認定の車両停止時から弁解録取時までの原告の言動(前記二、(二)、1の(4)及び同2の(1))からすれば、たとえその住所、氏名が判明したとしても右弁解録取書作成後直ちにこれを釈放すれば、その後の取調べのための任意出頭の確保が著しく困難になるのであろうし、また本件速度測定結果記録書が存在したとしてもそれが原告運転車両であることを自認する趣旨の原告の押印がない以上、無意味に事件を紛糾させるであろうこと、他方右弁解録取後に取調を続行するとしても、その取調べのためには長時間を要し、その終了は深夜に及ぶこと(しかも、その後に原告を釈放するには、その釈放手続の明確性と出頭の確保を計るために合理的とみるべき、身柄引受人から身柄請書を徴すること等の手続が行われる必要がある。)等が十分予想できるものであったから、この趣旨のもとに原告の留置を決定した前記鈴木の判断は不当とはいえないところである。

そして、その後釈放までの経緯が前記認定事実(二、(二)の2)のとおりであってみれば、捜査上当然必要とされる時間内の留置であって、不当に長時間の留置といえないことも明らかである。

それ故、本件留置を違法とする原告の主張もまた失当である。

五  警察官らの言辞の違法性の有無

前記認定(二、(二)の3)にかかる各言辞は、次のとおりいずれも違法であるとまではいえない。

1  請求原因(二)、3の(1)(前記認定二、(二)、3の(1))につき

前記認定のとおり、前記警察官服部の取調べに対する原告の態度は反抗的或いは揶揄的にも感じとれるものであったから、右言辞はこれに対する叱責的言葉とも解することができるのであって、これをもって一方的に威迫されたとか、不当なものとはとうていいえない。

2  同(2)(右同)につき

右言辞自体としては不当に思われないわけではないが、その発言時における雰囲気を推測するに、原告と同服部との間に特段対立することもなく弁解録取書が作成された後であるから、相互に緊張感から幾分解放された心理状態にあったものとみるべく、したがって、かかる状態での発言と考えれば、単なる冗談とも受けとれるのである。

3  同(3)(右同)につき

右は原告主張のような危惧を与えかねない言辞であるといえないわけではないが、《証拠省略》によると、原告は右発言がなされる前から前記中澤の取調べに対してすすんで供述しており、前認定の取調状況に照らすと右の言辞に威迫その他の影響を受けるおそれがあったとは認められないから、右言辞は未だ不穏当の域を出ないものとみるべきである。

4  同(4)(前記認定二、(二)、3の(2))につき

右言辞の内容自体特段原告を威迫或いは蔑視する不当なものとは認め難いし、取調中に周囲の警察官が笑い出すといった雰囲気のもとでの発言であってみれば、単なる冗談にすぎないとも推測できるのである。

5  同(5)(前記認定二、(二)、3の(1))につき

右言辞は皮肉ないし嫌味的な趣旨をもつものであって(本件全証拠によっても、これにより原告が威迫を受けたとは認められない。)、不穏当なものであることは否めないけれども、釈放により相互の対立関係が解消した後の単なる冗談とも解されるし、前記認定の原告の態度(二、(二)、1の(4))に照らすと、かかる発言をなさしめるにいたった原因が原告の徒らに反抗的ないし揶揄的な態度に存することが推測できるから、右言辞の故をもって一方的に前記小内に対してのみ責を問うのは相当でない。

6  したがって、この点に関する原告の主張も排斥を免れない。

六  以上検討したとおり、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山之内一夫 裁判官 市川頼明 佐村浩之)

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